元総社幼稚園は教育保育方針の5本の柱のうち、最も重視するものの一つに「あそびを中心とした学びを重視する保育」を掲げています。遊びを中心とした保育は楽しそう、だけど実際どんなことをするの?と思う学生さんも多いと思います。
園長先生に、その理念について聞いてみました!
目次
なぜ遊びを中心とした保育を掲げているのか
Q.なぜ元総社幼稚園は「遊びを中心とした保育」を掲げているのでしょうか
ーーもともと幼児教育は「子どもの主体性を伸ばす」ということが当たり前のように言われてきていたんですけども、でも実際指導・保育の形がどうだったかというと一斉指導が当園では多かった。なんといいますか、一斉指導をしていく中で、子どもの主体性というのが“阻害”されている感じの活動だったり、考え方、方針というのが結構見えてきていたんですね。それって本当に子どものためなのかな、と。
Q.そう思われたのはいつ頃からですか?
ーーだいぶ前から思ってはいましたが、「遊びを中心とした保育」と理念に掲げたのは認定こども園に移行した平成27年頃からです。
Q. それまでは「一斉保育」だった?
ーーそうですね。
Q. 指導内容を変えたということですか?
ーーもちろん全て一斉指導がダメだとか、これまでやってきたことがダメだったというわけではないです。状況に合わせて区別しなくてはいけないかなと思っています。
例えば、絵を描いたときに、目は丸くとか、口はこうとか、同じような絵を書いて、本当は皆違っていいわけだけど、そういう表現の仕方まで一斉指導をしていくというのが果たしていいのか。子どもたちの表現とか考え方まで保育者が主導していっていいのかな、というのがあります。どう表現するかって子どもの自由じゃないですか。だから子どもの主体性というところを、よく考えて、伸ばせるような方法として何があるかな、といったときに、「遊びの保育」といったことを中心にしていこうと。そこに重きを置こうということで「遊びを中心とした学びを重視する保育」と掲げています。
一斉保育と自由保育
Q.「一斉保育」に対して「自由保育」があるわけですね?
ーー言葉で整理すると「一斉保育(または設定保育)」と「自由保育」が対比的に比較されます。その定義はいろいろあって、学生さんは短大や大学でも学ぶと思うんですけど、要は「遊びを中心とした保育」はどちらかというと「自由保育」の中に入りますね。特に「一斉保育、設定保育」は、定義でもいろいろなところを調べてみるとどちらかというと保育者主導、保育者主義的な、先ほど言った表現までも統一してしまうようなことも指します。一方、「自由保育」というのは遊びの保育、主体性の保育とも言えますが、子どもの主体性を重視した保育、というふうに分けられていてますね。
Q. どちらがいいんでしょうか?
ーーどちらがいいというわけでなく、両方にメリットはあります。
Q. 一斉保育にもメリットはある?
ーー 一斉保育は指導者が目標やねらいを持って活動を設定するので、子どもはスムーズに遊びに入りやすいですね。ただそれが極端に働くと、全部組み込まれたものの中で、子どもがあまり考えない、指導者主導でシナリオが全部決まってしまいます。良い部分もありますけど、全部シナリオが決まっているからその答えと違ったらそれダメだよね、みたいな感じになってしまいます。それは果たしてどうなんでしょう?
あとは、公平性・平等性の観点からいうと、みんな同じことをさせるから確かに一斉・設定保育の方が公平性・平等性には向きますね。だから、その子に合わせた保育というのはある意味、平等じゃないと言われればそうだというところはあるかもしれません。良い悪いは別として。
遊びを中心とした保育から育つもの
Q. では、遊びを中心とした保育から育つものはなんでしょうか?
ーー主体性、ですね。子どもは自分で遊びを考えて、それを伸ばしてあげることが必要です。子どもが興味を持つものはそれぞれに違うので、子どもが自分のペースで工夫しながら遊ぶことに重点を置いて子どもを見守ることが大切です。ただ、それには時間も必要ですね。
Q. 保育者は見守ることが必要なんですか?
ーー「気づいて、見守る」ことですかね。ただ自由に遊ばせているだけでは子どもが集団行動に慣れるのに時間がかかったり、逆に子ども同士でトラブルになって収まりがつかなくなってしまうこともあります。保育者が気づいて先に手を回してしまうのではなくて、子どもに考えさせたりすることが必要なんです。
(後編へ続く)
次回は、後編 ~時間をかけて育てる保育~ について紹介します。